何者にもなれない己への戒め

こんばんは。

BGTの動画とSASUKEを見ながら気分を落ち込ませていたsinoです。
あらゆる物事が気分低下の引き金になるので辛いですね。

なので、その憂さ晴らしとしてその思考の断片を書き連ねます。

誰かに読ませることに本質がある文章は、読み手がいることを第一に考えることが重要ですが、これはきっとただの自己満足と矮小な自己顕示欲を少し満たすために書いてるんだと思います。

よく「誰にも負けないと自信を持てるものはあるか」と自問し、また機会があれば他問(他問って言葉は無いようです)しているのですが、これに明瞭な回答を出来た人間は出会った人々の中に1人しかいませんし、過去から今に至るまでの自己たちいずれも言葉をつまらせます。

誰にも負けないというのは非常に難しいですが、何かしら胸を張って誇れるものが欲しいですよね。

今自分が死んだとしたら、僕の人生に大きな意味はないでしょう。可能であれば後世にしばらくは何かしらの痕跡は残したい。これも自己顕示欲から来る物なんだと思います。

髪の毛を伸ばすのも、様々な装飾品を身につけるのも、蒐集癖も、きっと己自身に何もないからの虚勢だと感じます。

日頃から「○○になりたい」だの「○○をしたい」だの言っていますが、これはそれそのものが目的なのか、自己顕示欲を満たすための手段なのかどうなんでしょうね。

実際、イラストレータになりたいですし、原型師にもなりたいですが、それを言うだけで何の努力もせず、惰眠を貪り、YouTubeのお薦め動画を適当に視聴し、まとめサイトをサーフィンし、カードを触り、性欲をみたし、低次の欲求をプチプチマットのように潰して、人生の残高も潰している日々に尚更の自己嫌悪を覚えます。

最近は前ほどアニメも見てないですし、本も読んでないですし、昔の自分の方がよっぽどましな人間だったと思います。これは、一人暮らしの結果としてそもそもの自堕落な性格を戒める人間がいなくなったことが大きな要因だと思います。誰か結婚して。己がために求婚する時点で碌じゃないんでしょうね。

小さなときから感情表現と欲求をさらけ出すことが苦手で、やりたいことがあったり、欲しい物があったりしても、言葉にはせず、ただ未来がそうなることを祈っていました。これは、自分を否定されることを異常に恐れているんだと思います。その根本までは自分でもわかりませんが。小学校低~中学年の時にいじめられてた気がするのが影響してたりするんですかね?中学時代の経験の方が人格を壊すのには役立ったかもしれないです。

これは、人間関係においても同じで、そもそも友だちが少ないですし、友人と言える人は何人くらいいるんでしょうか。

ともかく、その自分を否定される事への恐怖が、何かをなしえたい欲求との自己矛盾を引き起こしているんでしょうね。そういえば、小~中学校ころの歌と体育のテストもこの恐怖の根源のひとつな気がします。

それと、そもそも努力することがいつの間にか苦痛になりました。最初からかもしれない。
幸か不幸か僕は割と要領が良い人間で、教育機関に在籍する人間が努力する大きなものとして勉強がありますが、高専もノー勉で合格して、入ってからだってほとんど勉強せず卒業してしまいました。最後に努力したと言える記憶が思い出せない。
瞬間的で俗物的な快楽に溺れてしまうんですよね。

書いていたら少しはすっきりした気がしますし、これ以上書いてもどうしようもないとも思うので、とりあえず仕事します。

それと、座椅子とデジタルお絵かき機材買ってきて、クリエイティブなことしますね。1月中に成果があがってなかったら凸ってきてください。