ぼくの手は、虚空

 その出逢いは、仕事の一環だった。

 職務に関連する調査のため、一か月だけインストールしたマッチングアプリ。旧世代の僕は、出会い系アプリと言ってしまう癖が抜けないが。
 それは表示される異性のプロフィールを見て、気に入ったら所謂いいねを押し、それに相手が応えたらチャットが出来るという、恐らく一般的なシステムの物だった。
 僕の人生に影響を与えることはないであろう人間の表層を一方的に観測出来る、その点はわずかに心が踊るものがあった。
 しかし、それは同時にこちらのプロフィールも同様に有象無象の目に晒される。その気持ち悪さを抑えるために、適度に嘘を交えたものを掲載した。完全に出鱈目を書いても良いが、調査という本懐を考えると、そんなくだらないロールプレイにリソースを割くのは極力控えたかった。
 あるときふと思い立ち、写真を適当なモデルのような人間にして、年収の項目を8桁ほどにしてみたところ、リアクションが目に見えて増加したのは一言記しておいてもいいだろう。

 始めて数日は、目新しさもありきちんとプロフィールも確認していたが、アプリを本来の目的として使っていない僕にとっては、それに大きな意味は無く、ほどなく無作為な選定に移行していった。
 毎日ひとりふたりとの会話の場が開放される。予測変換を繋げた定型文の挨拶を使い回す。そこから反応が返ってくるのは数人に一人。それならばそもそも承認する意味を、僕には見いだせない。
 会話が始まっても、他人への興味が薄い僕は、画面上でこそ品行方正といって差し支えない応答をしていたが、多くの人間はその虚空を敏感に感じ取ったのだろうか、長くは続かない。
 相手からのいいね通知もそれなりに来ているが、煩わしさから確認することはほとんどなかった。

 無為に見える活動をしばらく続けていた。
 サービスとしての本来の成果は皆無だが、僕の目的は概ね達成されており、予定より早い撤退を検討していた頃に、トーク画面でひとり今までとは少し違う毛色の人間が目についた。勝手な言い草だが、どこか僕に似た虚空な何かが画面越しに感じられたのかもしれない。
 ユーザーネームは「K」。僕よりひとつ年下だった気がする。
 いつも通りの内容のない会話を始める。

「趣味は」
「好きな物は」
「仕事は」
「最近楽しかったことは」

 『NARUTO』の日向ヒナタが好きだと言っていたことだけ覚えている。『日常』の誰かと勘違いしながら会話をしていたから。
 ――間もなく、「通話しませんか」という一文がきた。時刻は日が変わる頃だっただろうか。
 仕事の息抜きにでもなればと思い、LINEを交換する。
 その日は1時間くらい通話していたと思う。Kは「自分は、猫だ。人間ではなく猫だ」と言っていた。
 取引先に送る資料を書いていたら、寝息が聞こえ始めた。理由はないが仕事が終わるまで繋いだままにしていた。
 その日から、毎日の様に、夜になると電話が掛かってくるようになった。だいたい仕事をしていたこともあり、聞き手に回る。
 Kは、俗な言い方でのカテゴライズを許してもらえるならば、メンヘラという印象だった。詳細は避けるが、あることから一時は自殺も考えたと言っており、しばしば不安になる言動もあった。
 交流を続けていくうちに、少しずつKについて知ることもあった。
 よく笑い、どこかふにゃふにゃとしたその声色は、わずかなノイズ越しによく通るものだった。

 そして、友人といつものように遊びにいくような感覚で、実際に合う日が訪れる。幸い、僕は、休日は根無し人同等にふらふらとする日々を送っているので、予定を調整するといった手間はなかった。
 Kは、僕とは違う県に住んでいたが県境に近く、電車一本でお互いの最寄り駅は繋がっていた。
 「秋葉原に行きたい」と言っていた。同時に「不安で怖い」とも言っていた。なにが不安でどこが怖いのか僕には分からないが、Kの最寄り駅に迎えにいくことになった。

 一度自撮りが送られて来たので容姿は知ってはいたが、実際に合ったKのそれは、整っているといっても良いものだろう。万人がマスクをするこの時代において、容姿の認識なんてあてにならないかもしれないが。
 恰好は、こちらも俗な言い方をすると地雷系に分類されるものだと思う。
 マスクでは隠せない目元のメイクは、涙袋を過度に強調している。
 モノトーンのワンピースには、所々わざとらしいフリルと、差し色として明るくはないピンクがあしらわれていた。キャラクターで例えるならば『アイドルマスター シャイニーカラーズ』の黛冬優子のような。
 首にあったチョーカーが、特に印象に残っている。

 Kが「やっぱり池袋に行きたい」と言い出したので、予定は少し変更となった。電車に揺られ目的地に向かう。その間に会話は余りなかった。
 改札を降りると人が溢れており、手が自然と繋ながる。
 具体的な目的はなかったので、あてもなくサンシャインの周辺に向かう。ゲームセンターや服屋、アクセサリーショップでウィンドウショッピングをする。横目でみたポケモンセンターはいつも通り混雑していた。
 この頃には、ずいぶん会話も増えていた。やはりふにゃふにゃとした笑い声がよく通る。

 2、3時間ほど歩き回ったころ、Kが疲れたから休みたいとのことで、ネットカフェに入ることになった。場所は、Kが選んだものだ。
 僕は、暖かい飲料と冷たい飲料、それにアイスクリームを抱えて部屋に入り、家にはないテレビを見ていた。横ではKが静かに座っている。
 程なくしてKが身を寄せてきた。きっと心が弱い人間だったのだろう。

 2時間程度滞在し外に出た頃には、ずいぶん辺りも暗くなっており、Kを最寄り駅まで送り届けて別れた。

 その後も、何度か2人で色々なところへ遊びに向かった。傍からみたらカップルに見えたかもしれない。実際、目に見える関係性は良好だったはずだ。
 そんなある日、友人からのLINEを開いたときに視界の端に違和感を覚えた。トーク画面の一覧を確認すると、Kのアイコンは消え、名前は「メンバーがいません。」となっていた。
 Kは、きっと心が弱い人間だったのだろう。

 

 他の連絡先は何も知らない。名前だって知らない。家も知らない。
 知っているのは、片手でつかめる程度の断片的な情報だけだ。
 残っているのは、送られて来た1枚の写真と、手に残る虚空だけだ。
 僕も、きっと心が弱い人間だったのだろう。

 この物語は、きっともう続かない――。





この記事は小餅(@gpc_na_fa)主催の "ここにタイトルを入れる Advent Calendar 2021" 5日目の記事です。