人間適正の低さ

さて、2回目の記事から暗い話になってしまうことに謝罪して筆を進めます。人によっては気分を害する恐れがあり、人生に良い影響を与えることはないでしょうので、嫌な人はブラウザバックしてください。(とはいってもまだ書く内容はあまり考えてなのですが。)

まず、人間適正という(恐らく)造語について定義付けを行いましょう。人間適正は高い低いで表し、基本的ですはあらゆるカテゴライズにおいてマジョリティに属している方が適正が高いとします。
横路に逸れますが西尾維新さんの『物語シリーズ』において主人公の阿良々木暦の名言とされるもののひとつに「友達はいらない。人間強度が下がるから」というものがありますね。この境地に真に至れる人間がいるならば、それは究極のマイノリティに属しながら人間適正は高いのではないかと思います。

本題に入って、私の人間適正に対する考察を行いたいと思います。まず、私の背景として高専というマイノリティの多い集団に属していたため、最近までは人間適正なんて造語を考えることはありませんでした。私にとっての他社の存在する世界は、家庭と学校とカードゲームと一部の中学の友達のみでしたから。
ではこの言葉を造り出したきっかけは何なのでしょうか?それは、20歳になったという不可避の事象です。これが何を意味するか、皆さんお分かりでしょう。そう、法律により規制されていた一部物事の解禁、つまり酒(と煙草)です。
皆20歳になった途端に馬鹿みたいに酒を飲み初め(その前から秘密裏には飲んでいたんでしょうが)、遊びに行くorご飯を食べに行く=飲みに行く という等式があらかた成立します。酒を飲まない人間には何がいいのかてんで分かりません。ご飯を食べに行ったら割り勘で、飲んでもない酒代を払わされます。4000円あったら少食な私なら高級とされる焼肉や寿司を満足行くだけ食べれます。
こんな話をすると「「酒飲まない俺カッケー」みたいな大二病かよ、大人に成れよ」と言われてしまいそうですが、20歳になった途端に酒呑童子だかバッカスだかの如く酒を飲んで大人になった気になってる奴に言われたかねえよ。お互い様だ黙ってろ。
煙草も吸っていい?じゃねえよ、服に匂い移るんだよ。喫煙所に行け。

はい、取り乱しましたが気を悪くしないでください。暴言吐いてしまった該当者には謝ります。
別にお酒飲むことを否定はしていません。本人が楽しんでるなら結構なことです。(煙草を近くで吸われるのは嫌だけどね。あと割り勘も納得いかないけどね。)こんなことを行ったら誰も私を飲みに誘ったりしなくなるでしょうし、関係にヒビが入って響いてしまうから言わなかったんですけど、まあそれならそれで仕方ないかな。最後に誤解なきよう、誘うなと言いたかった訳ではないです。酒を飲まないというマイノリティとして、そして心が狭いというエッセンスが組み合わされ苦しんでいるということが言いたかった。
お酒について思うことは一応は書けたかな。

閑話休題(誤用)
お酒の話しかしてないのにさっきの等式に遊びについて書いたのが実は伏線で、もうひとつの人間適正の低さを感じることについてもついでに書きます。
私の趣味のひとつにデュエマというものがありまして、メインターゲットは小学生男子(のはず)です。しかし、20代前後の若者たちのプレイヤーも結構多いです(そもそもデュエマが18年間くらいやってるから最初から遊んでた層は自分の子供と対戦しててもおかしくないしね)。そんな訳でそういう層が集まる大会に出たりもするんですけど、まあ、いい年して子供のおもちゃでガチってる人なんてどこかおかしい人が多いですね(自分も含め)。そういった鏡を見ても人間適正が低いなぁと思ってしまいます。今のデュエマに対する賛否についてはいつか書くかもね。

さて、長々と思っていることを吐いた訳ですが(人間適正の低さを感じることはまだあるけれど)、結論的なものを言うと、『大人に成れてないように感じ、でも大人に成りたい訳でもない』という二律背反に苦しんでいるといったことでしょうか。ピーターパンシンドロームとかあったよね。これとは違う話だったはずだけど。

真面目な文章で書くつもりだったのに、徐々に緩い口調になってしまった。

最後に、電車のアナウンスの「次は、さくらだもん」って可愛いと思う上京したこの頃。